「官立弘前高等学校資料群」の利用について
現物を利用するには事前に申請書を提出し,利用許可を取る必要があります。
資料群のうち(4)学籍・調書類については,個人情報が含まれるため,利用を制限する場合があります。
官立弘前高等学校資料群
点数:1,055点
解説・目録;弘前大学附属図書館編『官立弘前高等学校資料目録 : 北溟の学舎(まなびや)の資料群』(弘前大学出版会,平成21年)
(平成21年[2009]3月25日 貴重資料指定)
本資料は,旧官立弘前高等学校(以下「弘高」という。)に関わる,(1)文部省からの公文書,(2)沿革資料,(3)教務資料,(4)学籍・調書類,(5)雑誌・会報類,(6)学校経営資料,(7)写真類の大きく7項目からなる総点数1,055点に及ぶ膨大な資料群である。何よりも膨大な量に驚かされるとともに,資料が継続的にそろっていることが,歴史資料としての価値を最も高めている。官立高等学校という,近代国家が定め創設した高等教育機関に関して,このような膨大な資料が残されている事例は,全国的に見てもそれほど多くはない。
本資料群のなかで特に注目される資料類について,以下,7つの項目に分けて,歴史資料としての価値を記述する。
(1)文部省からの通達文書
簿冊数としては10冊強と,全体的な割合から見れば量的には少ない分野に見える。しかし,弘高の資料の中では,最も歴史的価値の高い資料群である。当該の通達文書は,大正9年(1920)の弘高創立から昭和25年(1950)の閉校に至るまで,ほぼ全時代にわたって数冊にまとめて綴られ,残存している。そのため文部省の官立高校に対する全般的な運営資料ともいえる。
(2)沿革資料
弘高の便覧や校舎の図面など,学校全体の歴史を概括する資料として有益である。なかでも,図面は校舎ごとにあり,建築史関係の資料としても研究に資するところが大きい。
(3)教務関係資料
教務日誌と教員に関する一連の文書類に大別できる。
前者は官立高校の日常を簡潔に記した日誌である。教務日誌である以上,事務的内容にとどまっているが,弘高の創設から閉校に至るまで,ほぼ毎日の出来事が綴られている意味は非常に大きい。後者は教員の履歴や給与,勤務命令等に関する庶務関係資料である。
(4)学籍・調書類
弘高資料群の中で量的に最も多くを占めている分野であり,入学生に対する事前調査,在学生に対する性格・身上調査,学生の家庭に関する調査,成績類,そして学籍や戸籍などに分けられる。
入学生に対する事前調査は,入学生が在校していた中学校からの内申書にあたる。在学生に対する性格・身上調査は,文字通り在学時の内申書,学生の家庭調査は入学生および在学生の家族に対する調査である。職業や金銭能力なども記してあり,極めて高い個人情報であるため,取り扱いには注意が必要となる。
(5)雑誌・会報類
学生自治に関する一連の資料群である。校友会雑誌と同窓会会報が大部を占め,いずれも学生生活に関する基本資料として重要である。教育史としてだけでなく,当時の学生の心理や生活ぶりなどを知ることもでき,その意味では多種多様な活用が可能と考えられる。
(6)学校経営資料
物品購入などに関する帳簿類であるため,歴史資料としてよりも学校財政の状況を窺う上で貴重であり,開校から閉校に至るまで継続して揃っている。
(7)写真類
写真帖と卒業アルバム,そして後年まとめられた写真集もある。これらの中では,写真帖が当時の原版写真であるため最も歴史的価値をもっている。内容的にも教員や学生の整列写真だけでなく,当時の街並みや校舎,学生生活の一端などがある。戦前から終戦に至る時期の弘前市に関する写真資料としても,一級の価値を持っている。
(附属図書館長 長谷川成一)
点数:21点
目録:官立弘前高等学校資料追加目録(PDFファイル:83KB)
平成29年11月20日追加(令和4年[2022]3月10日 貴重資料指定)
本資料は,弘前大学附属図書館が平成29年度(2017)に古書店から購入した官立弘前高等学校の関係資料である。各資料の内容から類推すると,大正11年(1922)から昭和21年(1946)に至る期間,官立弘前高等学校に在職し,教授科目の国語を担当した三浦圭三教授(1885-1960?)の所蔵にかかるものと推定される。
三浦教授は,現兵庫県丹波市の出身で,前述のように大正11年(1922),官立弘前高等学校教授に就任し,在職中に『綜合国文学概説』,『校註大鏡解釋』.,『古今和歌集新講』など多くの著作を上梓している。昭和21年(1946)に弘前高等学校を退職した後は,弘前市から郷里の丹波市へ転居したようである。
本資料は,三浦教授の在職中における教授資料や生徒指導,学校行事関係,三浦教授宛の私信などからなり,点数は少ないものの,弘前大学附属図書館所蔵の「官立弘前高等学校資料」を補完する性格を持つ資史料が散見される。なかでも,昭和11年(1936)6月秩父宮雍仁殿下の弘前高等学校視察関係資料(資料番号3,3-1,3-2)や整理番号1の「保証生徒名簿 昭和七年第十回生起」,同2の「昭和十年度入学 学級要録 文科第一学年 第二学級」などは,「官立弘前高等学校資料」には見えない資料である。当時,生徒指導がどのように行われていたのか,その実態を知る上で貴重であり,戦前期における高等教育機関の研究にも資するものと考える。
また、整理番号6「創立十周年式書類」は,昭和6年(1931)10月,当時としては盛大に挙行された弘前高等学校創立10周年の記念事業の関係資料である。教職員や生徒たちが,学校行事にどのように参画したのかを知る上でも興味深い資料である。
なお当資料の活用に当たっては,弘前大学附属図書館編『官立弘前高等学校資料目録 - 北溟の学舎の資料群』(弘前大学出版会 2009年)を参考にしていただきたい。
(弘前大学名誉教授・元附属図書館長 長谷川成一)
点数:123点
目録:官立弘前高等学校資料追加 - 1目録(PDFファイル:212KB)
平成30年7月26日追加(令和4年[2022]3月10日 貴重資料指定)
1.当資料は,弘前大学附属図書館所蔵の官立弘前高等学校資料である。弘前大学附属図書館編『官立弘前高等学校資料目録-北溟の学舎の資料群』(弘前大学出版会 2009年)の刊行以降,同館に於いて新たに発見・確認された資料であり,発見・確認,当該目録作成に至った経過は,以下の通りである。
①当資料は,平成27年(2015),本部事務局棟の耐震改修工事にともない,総務部広報国際課(当時)が附属図書館の3階旧貴重資料閲覧室に移転するに当たり,同室の窓側(現在の貴重資料保管室の左側)に積まれていた。各種の物品や資料類を整理する過程で,当時の三上豊学術情報課長(現在、事務局付調整役〈情報連携担当〉)が発見・確認した。当該の資料は段ボール2~3箱に入っていた。
②三上課長は,官立弘前高等学校の関係資料であることを確認して,資料整理を自身で実施し,目録の作成に至った。その際,前掲の『官立弘前高等学校資料目録-北溟の学舎の資料群』を参照し,資料の分類にあたっても,基本的に同書の分類形態に沿って実施した。平成27年1月には,作業を終えて資料目録(以下、「三上目録」と略記)の成案を得た。
③平成30年(2018)に入り,上記「三上目録」の存在の連絡を受けた長谷川が,附属図書館の了解のもと,三上氏と協議の上,資料の再確認と資料内容の掌握と目録の完成を目指すことになった。その際に,人文社会科学部の武井紀子准教授と尾崎名津子講師のご協力を仰ぎ,当該資料の再調査を実施して,三上氏の資料目録をもとに「官立弘前高等学校資料追加-1目録」を作成した。
2.当資料目録は,前掲1-③でも述べたように、「三上目録」は完成度が非常に高く、大きく変更する必要はなかった。ただし,資料の内容に関する記述を充実させ,内容にふさわしい項目に資料を若干移動させたりしたが,おおむね「三上目録」に沿ったものである。当目録の作成に当たっては,以下の点に留意した。
①作成に当たっては,基本的に弘前大学附属図書館編『官立弘前高等学校資料目録-北溟の学舎の資料群』(弘前大学出版会 2009年)の分類に従った。
②資料名は,冊子体の場合,表紙に掲げてある表記を,一枚もので表記のないものは目録作成者が付した。
③Ⅳ-3写真のなかで,整理番号83-93,95,97-102は,平成26年6月9日(月)~8月29日(金)に開催した弘前大学資料館第5回企画展「官立弘前高等学校の日々-写真が伝える寮生活-」において,展示した実績を持つ。写真の年代判定の参考にした。
(弘前大学名誉教授・元附属図書館長 長谷川成一)
点数:48点
目録:官立弘前高等学校資料追加 – 2「弘高新聞」等目録(PDFファイル:136KB)
平成30年12月18日追加(令和4年[2022]3月10日 貴重資料指定)
1..概要
「弘高新聞」は,弘前大学附属図書館所蔵の官立弘前高等学校資料である。弘前大学附属図書館編『官立弘前高等学校資料目録-北溟の学舎の資料群』(弘前大学出版会 2009年)の刊行以降,同館に於いて所在が改めて確認された資料であり,概要は以下の通りである。
① 「弘高新聞」は,昭和3年(1928)6月5日に第1号が発刊され,同7年(1932)2月20日に第20号をもって終刊を迎えた,弘前高等学校新聞雑誌部を発行元とした学生新聞である。附属図書館に所蔵されている「弘高新聞」の活字・原本は,第5・6・8・9号を除いた全16点と第18号(整理番号15)附録・20号同(同18)の2点の計18点。ほかに「高等学校新聞」(整理番号19)「東北学生新聞」(同20・21)「弘高時報」(同22),昭和12年(1937)に刊行された「北溟」(同23~26)の計8点,合わせて全26点が1冊に合綴されている。「弘高新聞」とこれらの新聞類が合綴された経緯などは,分かっていない。
時期は不明だが,かつて附属図書館では「弘高新聞」を複写した実績があって,複写版は第1~20号まで全号が揃っており,活字・原本の欠落を補っていることは,きわめて貴重である。
本目録では,活字・原本と複写版をそれぞれ,「1,「弘高新聞」等(同資料は,整理番号1~26まで1冊に合綴)」,「2,複写版-「弘高新聞」(同資料は,整理番号27~48まで1冊に合綴)」に分けて,分類・目録化した。「2,複写版-「弘高新聞」(同資料は,整理番号27~48まで1冊に合綴)」には,「高等学校新聞」「東北学生新聞」「弘高時報」「北溟」の複写は含まれていない。
② 「弘高新聞」の判型は,ブランケット判と称される現在の新聞のそれとほぼ同様であるが,一時,小型化した号(第19号 整理番号16)もあり,「弘高新聞」の題簽や活字のフォントを変化させた時もあった(第16・17号 同12・13)。しかし,終刊に至るまで著しい変化・変容は認められない。紙面のデザインも第17号の弘前高等学校創立十周年記念特別号を除いて,創刊以来の基調を基本的に保持しているといってよかろう。
③「弘高新聞」の活字・原本「1,「弘高新聞」等(同資料は,整理番号1~26まで1冊に合綴)」における欠落号は,前述の通り,第5・6・8・9号である。幸い「2,複写版-「弘高新聞」(同資料は,整理番号27~48まで1冊に合綴)」の整理番号31・32・34・35が欠落した号に該当する。欠落した時期,複写の時期はいずれも不明であり,かつ当時の事情を知る職員はいないので,この間の経緯については現状では捜索の手立てがないのが実情である。
ただ,目録の注記*②~*⑤において記したように,昭和4年(1929)の第5・6・8・9各号(整理番号31・32・34・35)4面の文芸面に,太宰治の三つの作品と一つの評論が掲載されていることは興味深い。太宰は,いずれも当時使用していたペンネームの小菅銀吉と大藤熊太で執筆しており,あるいは太宰の文芸作品を掲載している当該の号を別置した可能性も否定できない。今後,更なる捜索が待たれるところである。
④【時代的背景】大正10年(1921)に開学した弘前高等学校(以下,弘高と略記)は,昭和に入り思想問題に大きく揺れる時代に突入した。昭和2年(1927)には銀行の取り付け騒ぎが広がり,銀行に対して支払い猶予令が出され金融恐慌が起こった。同3年(1928),共産党員が一斉に検挙された三・一五事件がおき,東大新人会をはじめ各大学に社会科学研究会の解散命令が出され,規制と思想の取締りが強化された。弘高でも社会科学研究会の解散は命じられたが,学生の間には左翼思想が拡大していったといわれる。このような中で,同年6月,「弘高新聞」が創刊された。
翌4年(1929),弘高では,鈴木信太郎校長の公金流用疑惑が新聞に報じられ,2月には抗議する生徒たちの同盟休校に発展するなど学内は騒然としていた。このころ弘高新聞雑誌部の上田重彦(ペンネーム石上玄一郎,当時左翼運動に従事)は社会科学研究会を組織したともいわれ,加えて上田は,整理番号5・6・31・32・34・35にみえるように,昭和4年に刊行した「弘高新聞」第5~10号に至る各号の編輯・発行兼印刷人をつとめている。当時,弘高3年生の津島修治(後の太宰治)は上田が新聞の編集責任者であった時にのみ,「弘高新聞」に作品などを寄稿しているのは上田との関係がかなり密であったことを想起させ,斉藤利彦氏が指摘されるように(同氏『作家太宰治の誕生』岩波書店 2014年),太宰が左翼思想に傾倒していたことと無関係ではあるまい。
なお,昭和4年の動きの中で興味深いのは,「弘高新聞」第10号(整理番号6)に,白紙・空白の箇所が認められることである。それまでの第1~9号にはなかったことである。目録の注記*①に見えるように,生徒主事による検閲の結果,空白が生じたとのことで,弘高に於いて新聞の本格的な検閲が開始したのである。要注意人物の上田重彦が編集・発行の責任者であったことが理由なのか,詳細は不明であるが,従来,これらの点について触れた研究が見当たらなく,今後の解明が待たれるところである。
昭和5年(1930)1月,共産青年同盟の活動をした容疑で新聞雑誌部メンバーを中心とした生徒たちが検挙され,3月,放校3名,諭旨退学3名などの処分があって,上田は放校となった。この事件と太宰との関わりや彼の思想動向については,前掲斉藤氏の『作家太宰治の誕生』を参照されたい。
なお,当時の弘高における歴史的な状況に関しては,旧制弘前高等学校同窓会編『旧制弘前高等学校史』(弘前大学出版会 2005年)を参照した。
2,当目録の作成に当たっては,基本的に弘前大学附属図書館編『官立弘前高等学校資料目録-北溟の学舎の資料群』(弘前大学出版会 2009年)の分類に従い,「Ⅶ雑 Ⅶ-2 その他の弘高資料」に配置した。
3,保存・閲覧に関する取り扱いの注意
「弘高新聞」の活字・原本は,終刊後,既に約90年を経過して資料自体の劣化が激しく,加えて,長年の閲覧による破れ,汚損などが著しいことから,取り扱いには特段の注意が必要であろう。「弘高新聞」に関しては「2,複写版-「弘高新聞」(同資料は,整理番号27~48まで1冊に合綴)」にみえるように複本が作成されたことから,保存に関しては一定程度の安心感があるものの,整理番号31,32,34,35は活字・原本が欠落している号の複写であることから,この複写版しか存在しない。これら4点だけでも,もう一本の複本を作成する必要があろう。さらには,当資料全体の劣化の状況などを勘案してデジタルアーカイブスへの登載が至当と思われる。
(弘前大学名誉教授・元附属図書館長 長谷川成一)
点数:166点
目録:官立弘前高等学校資料追加-3目録(PDFファイル:245KB)
(令和4年[2022]3月10日 貴重資料指定)
弘前大学附属図書館編『官立弘前高等学校資料目録-北溟の学舎の資料群』(弘前大学出版会 2009年)の刊行以降、同館に於いて所在が改めて確認された資料である。
関連文献等
- 長谷川成一. 官立弘前高等学校資料について
弘前大学附属図書館報「豊泉」, (29), 2009.5, p.6-9 - 弘前大学附属図書館編『官立弘前高等学校資料目録 : 北溟の学舎(まなびや)の資料群』
弘前大学出版会, 2009 - 徳竹剛.[書評と紹介]弘前大学附属図書館編『官立弘前高等学校資料目録-北溟の学舎の資料群-』
弘前大学國史研究. (128), 2010, p.32-34 - “第二章 二 弘前高校での創作活動と『戦旗』の購読”
作家太宰治の誕生 : 「天皇」「帝大」からの開放. 斉藤利彦著. 岩波書店, 2014, p.98-125 - 豊川好司.コラム 旧制弘前高等学校北溟寮々歌の岩木山
岩木山を科学する.3, 2019, p.46-47