令和2年6月18日 更新

「阿仁鉱山関係絵図」の利用について

資料の劣化が激しいため,現物の利用はできません。

阿仁鉱山関係絵図(あにこうざんかんけいえず)

阿仁鉱山関係絵図 表紙

点数:5(鋪)

  1. 阿仁鉱山二ノ又山鋪図(図書番号562. A37.1)1鋪 文久3年(1863)
  2. 阿仁銀山町絵図(図書番号562. A37.2)1鋪 藩政時代
  3. 阿仁鉱山一ノ又山境図(図書番号562. A37.3)1鋪 近代
  4. 阿仁鉱山一ノ又山鋪図(図書番号562. A37.4)1鋪 藩政時代
  5. 阿仁鉱山一ノ又山全図(図書番号562. A37.5)1鋪 天保10年(1839)代と推定

(平成23年[2011]5月11日 貴重資料指定)
本学では,昭和40年(1965),旧文理学部改組の際に,交付された機関研究の経費によって多くの書籍が購入された。当該の絵図類は,その一環として購入されたもので,東京の古書店からの購入であることが確認されている。昭和43年(1968),附属図書館に登録され,図書番号が付されている。

 

1.阿仁鉱山二ノ又山鋪図(図書番号562. A37.1)1鋪 文久3年(1863
紙本著色 法量69.6㎝×54.2㎝
阿仁二ノ又鉱山の山支配人伊藤真楽が秋田藩山役人の杉原源之助へ進上した同山絵図である。鋪すなわち坑道図であるが,大楯(おおたて)・砒(ひ)などと称される銅鉛の砒通(ひどおし)(鉱脈の分布状況)が朱線で図中に描かれている。嘉永6年如月(1853年2月)に鉱山改めを行った際に作成し,,文久3年に藩へ進上したと推定される。年代が判明し,同図によって近世後期の阿仁二ノ又鉱山の状況が把握できる点で貴重な絵図である。

2.阿仁銀山町絵図(図書番号562. A37.2)1鋪 藩政時代
紙本著色 法量46㎝×66.5㎝
阿仁銀山町の絵図である。図中に「銀山上新町」「銀山下新町」「畠町」「寺」「愛宕社」「山神社」「行人」「神明社」等の記入が見え,藩政時代の阿仁鉱山の町方の様子を知るのに好適の絵図である。

3.阿仁鉱山一ノ又山境図(図書番号562. A37.3)1鋪 近代
紙本著色 法量53.2㎝×38.1㎝

同図には,鉱山建物,人民借地などの用語が見えるので,近代に入ってからの図と考えられる。鉱山の範囲を黒線で囲っていて,その中に採掘場と想定される面積と沢名が書かれていることから,採掘権の確認のために作成したと推定される。おそらく近代前期の一ノ又鉱山を描いた図と考えられる。描写は余り詳細でないが,近代初頭の阿仁鉱山の状況を知る上で貴重な図といえよう。

4.阿仁鉱山一ノ又山鋪図(図書番号562. A37.4)1鋪 藩政時代
紙本著色 法量77.5㎝×57.4㎝

一ノ又山鉱山の鋪図である。図中に御台所(おだいどころ)(藩政時代の鉱山事務所)が柵とともに描かれており,鋪口(しきぐち)(坑口)と各坑夫の家々が描かれている。四角の朱線で記された箇所には,本来は地名などが記入されるはずであったと思われるが,空欄になっている。したがって,当絵図は未完成の状態であった可能性がある。また,坑口が多数描かれその上に朱線で砒通(鉱脈の分布状況)も同様に記されている。図の右端には森吉山と同山に至る「森吉山道」が描かれている。

5.阿仁鉱山一ノ又山全図(図書番号562. A37.5)1鋪 天保10年(1839)代と推定
紙本著色 法量108㎝×77㎝

当該の絵図は,阿仁鉱山のうち一ノ又銅山領内を描いたものである。絵図には方位と地理的な目印が示され,御台所(鉱山事務所)や蔵,神社・堂,役人および鋪主(しきぬし)・本番主や坑夫たちの住居がみえる。鳥居の有無で神社・堂が区別され,住居の形態も少しずつ異なるなど建物の形態が精細に描き分けられ,正確に表されている。さらに鋪主や労働者の住居については,「鋪主理助」,「床大工万助」のように職種と名前の両方を記し,鉱山における各職種の者が住んでいたことを明示している。砒通(鉱脈の分布状況)の描写はない。
当絵図は,藩政後期に秋田藩が鉱山内の建物や住居の分布状況を詳しく把握するために公的な目的で作成した絵図であり,詳細な鉱山絵図として貴重な価値を持つと考えられる。

(弘前大学名誉教授・元附属図書館長 長谷川成一)

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